第1回
修猷館のグラウンドに面した古い事務所に移ってきて10年、Kが来て10年になります。
彼が最初にしてくれた仕事が、安いホームページ用のソフトを買ってきてリニューアルすることでした。それまで、独立してすぐに(ちなみに20年前)PC環境を1から立ち上げてくれた親切な知人が、「これからは絶対に必要になるから」と作ってくれたホームページを使っていました。
だから、これで3度目のホームページ。これまでは一年に1度もブログを書かず、ずっと使われずに窓から差し込む陽光で黄ばんでしまった部屋のような状態。身内からの大変厳しい指摘もあり、「さあ、書いちゃうぞ」とまあ、はりきっています。にしてもK、こんどのホームページ、なんか色気ないね。
最初の話題はコロナ・・・はやめて、この町のことにします。
私は人生のほとんどをこの町で暮らしています。だから、半世紀なんてもんじゃありません。それはそれは長い時間です。
事務所のビルの前、修猷館のグラウンド壁に沿ってまっすぐ伸びた道だって、私が西南幼稚園に通った道です。
あ、その前に、この町の名前は(勝手に)西新です。勝手に西新としたのは、道路を渡って早良郵便局の角から西は高取、藤崎と続くわけで、「西新」とくくるのはちょっと乱暴なのです。その訳はまたの機会に。すみません。
この町は、この半世紀を超える年月のうちにめまぐるしく姿を変えてきました。50年前まで、市電がガタガタと通っていた町なんですよ。
でも、何より変わったのは、百道の海岸が消えて、油山川と樋井川の間に新しく町ができたこと。正確に言えば、ヤフオクドームや現在のホテルヒルトン、九州医療センター、中国領事館や韓国領事館が建つ地行浜も、同時期に作られた新しい町ですけど。
新しいといっても1982年には埋め立てに着工したそうですから35、6年は経っているんですね。もう!?
ところで、長男を産む十日前まで大きなお腹をデスクに押し付けるようにして仕事をしていた私は、いきなり母親になって、慣れない子育てに必死で、町のそんなに大きな変化に気がつきませんでした。(もう一度ちなみに)夫は船乗りで、当時は航海に出ると1年近く帰ってこなかったので、私がお腹が大きいのも見たことがないし、首が座ってからはじめて息子とご対面。だからほぼ母子家庭。
ともかくある日、やっと乳母車に座れるようになった息子を乗せて、「ねえ、ホクトン、海を見に行こうか」と言って、よく知っているはずの海辺に行って、まさにびっくりの上に仰天でした。海がな・い! 鉄条網の向こうでは、運び込まれた土の上をブルドーザーやシャベルカーが行き来していました。
小さな手に波をつかませてやろう、足をパチャパチャさせてやろう、お父さんは、この海のどこか遠くを走っているんだよ、などと一生思い出に残るであろうシーンを描いていた私は、ホント、がっかりしました。
担当:F